『太宰治 100年目の「グッド・バイ」』 阿部晴政編

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渋谷のジュンク堂の店頭に超そそる本が売ってたので買ってしまいました。

その名も『太宰治ー100年目の「グッド・バイ」』です。

太宰治に関して、名だたる読書家の方々や実際に太宰と関わりのある人たちが言及しています。

実際に太宰小説のモデルになったような人もいて、太宰好きはそそる内容となっていますね。

太宰の革新は「かたり言葉」にある。

太宰が生きていた20世紀初頭は、書き言葉が主流で、かたり言葉は少数中の少数だったのだとか。
太宰の小説ではかたり言葉が存分に出てくるんですが、書き言葉中心の文壇にはかなりディスられたしまったんだとか。

『女生徒』は発表当時、ずいぶん批判されたらしいのですが、ぼくは画期的だったと思います。しゃべりことばは書き言葉にくらべてメインではないし、女は男にくらべてメインじゃない。そして子供は大人にくらべてメインじゃない。少数派の少数派です。それを再現することがないより大切だというのが太宰の革命的な着眼点です。ー本文より抜粋

この観点は全然ありませんでしたね。

若い人で、「文学は読まないけど太宰(or漱石)だけは読む」という人が多いことの答えもここにありそうですね。

それは、彼らの小説が「かたりことば中心」だからです。
親しみやすさという点で、太宰や漱石は人気なのでしょう。

もう一つのすごさー手紙みたいな性質

さらにいうと、太宰文学のすごさの一つは「手紙みたいな性質」にあります。
小説の多くが、「教養あふれる」ものです。

最近は割とライトなものもありますが、当時の小説は重厚で読みづらいものが多いです。それが当時の「当たり前」でした。

しかし太宰の小説はちょっぴり違って、「なんだか自分一人に話しかけてくる感じ」がするのです。
不特定多数の太宰小説の読者が、「太宰をわかるのは、わたしだけだ!」という感情を持つと言います。

すごくわかります。

太宰は「誰にも言えない秘密を、拡大表現してくれる」のです。ここが他の文学者と違うところ。

「俺の文学を堪能しろ」じゃなく、「君ってこういう秘密の側面あるよね?」と語りかけてくる。

ぼくはたまにそれに衝撃を受け、鳥肌が立って本を閉じてしまいます。その時のエクスタシーは何物にも変えられない。

太宰の読者というのはみんな、これは自分一人に向けて語られていると思うんです。そういうことがしょっちゅう繰り返されると、今度は逆にひっくり返って「この人をわかるのは自分だけだ」という気持ちになる。太宰の読者というのはみんなその独占欲をもっています。太宰をわかるのは自分だけだと思い込む。だから太宰の読者は減らないんですよ。ー本文より抜粋

太宰文学の一番の根っこは「秘密の共有」だと思います。

なんだか太宰と仲良くなった気がするんですよね。

おわりに

結構ご高齢の書き手が多いことから、この本は理解が難しい。

理解できる部分が少ないのが正直なところ。

まあでも「わかんない」時間もいいもんだなぁと感じます。全部わかっちゃったらつまんないですし….

ということで、太宰好きの人にはオススメの1冊ですね。

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