(この記事は『不幸論』の書評第二弾です。第一弾は【幸福になれない!?】中島義道氏『不幸論』は必見です。をご覧ください。)
さて、前回の記事で「人は幸せになれない」という一風変わった主張をご紹介しました。
そういった「マイノリティ」の思想を持つ著者は、社会生活において特有の被害を被るのだそうです。
中島さんは『不幸論』の中で「マジョリティの暴力」という項目をつくり、それについて語っています。
それが非常に面白かったので、今日はそれを紹介します。
①マジョリティの暴力
マイノリティの感性を持つ中島さんが受ける被害の一つが、
「マジョリティの暴力」
です。
特に、「幸福になること」を前提に接してくる人が嫌いなのだそうです。
そして、そういう人が自分を幸せにすることが難しいと断言しています。
普通の人が私という「他人」を幸福にすることは至難の業である。なぜなら、私は陽気な明るい顔が嫌いであり、励まし合って生きることが嫌いであり、物事を楽観的に見ることが嫌いであるから。ー本文より
ぼくも人前ではヘラヘラして励ましたりする楽観主義者ですから、中島さんを幸せにすることは不可能でしょうね。
いやあ勉強になります。他人を理解することさえできないのに、「人を幸せにする」ってよく考えりゃ傲慢ですよね。
中島さんはそういう傲慢さを憎んでいるのでしょう。
そんな中島さんの「敵」は、以下のような人たちなのだとか。
各人の感受性のズレをいっさい認めずに、木っ端みじんに打ち砕いたすえに、「私も幸福、あなたも幸福、そしてあの人もこの人も幸福、みんな幸福。ああ、幸福ってなんていいんだろう!」と叫ぶ人が、正真正銘の私の「敵」である。ー本文より
確かにこの説明には賛成です。上記のようなオーバーに幸福に酔いしれている人は見たことがありませんが、やっぱり幸せになるには自分のマインドが最重要なのはいうまでもありません。
全部自分の在り方次第なんだから、相手が介入してくることほどナンセンスなことはありませんよね。
項目の最後には、以下のように綴ってしめています。
他人を幸福にすることを義務と信じている人は、おうおうにしてーアランのようにーマジョリティの感受性をそこにもってきて平然としている。すべての人の欲望・感受性・趣味嗜好・信念は一致するという何の根拠もない想定のうえにあぐらをかいて、他人を幸福にすることの果てしない難しさを直視しようとしないー本文より
グサッときますね。ぼくもたまに他人に考えを押し付けちゃう事があります。反省せねば。
②終わりに
この本何が面白いかって、中島さん自分の事しか言ってないんですよ。
統計データを持ってきて、学者らしく論じる感じじゃないんです。
自称エゴイストに相応しい本でした。
一風変わった本ですが、わかりやすくかかれていて読みやすく、マイノリティの感性を存分に学べる機会になります。
興味があればぜひ一度。
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