「人生をどう生きるか」をテーマとした本が流行っています。
悩みを抱えながら、藁にも縋る思いでそういう本を手にする人は多いでしょう。けれども、それ自体非常に幸せなことだと思うんです。
歴史の中では、自分の人生を自分で決められなかった人が多数います。
その中でも悲惨を極めたのが、「強制収容所に入れられたユダヤ人たち」です。
今日はそんな彼らの生き様と死にざまが最も克明に描かれた一冊を紹介します。
夜と霧ー概要ー
この作品は、第二次世界大戦の時の、強制収容所の内部の実態を医師である著者の視点から克明に描き出したもので、そのむごさは他と一線を画します。
けれどもそれと並行して驚いたのは、著者が客観的に地獄の日々を見つめ直して記述しているところです。
スピノザのエチカに書かれている、「苦悩という情緒はわれわれがそれに関して明晰判明な表象を作るや否や消失してしまう」という言葉は正しいのかもしれません。
悲惨な日々を客観的に描き出せた事こそ、この本の名著たる所以なのかもしれません。客観性がないと読者に伝わりませんから・・・。
また、この本には実際の殺された後の人間の写真も掲載されていて、思わず目を背けてしまいます。
ここで重要なのは、「肉体的に頑丈な人間よりも、貧弱ではあるが希望を持ち続けて精神的に豊かな人間の方が長く生き残る」という事実です。
だから未来の希望を持ち続けて精神的健康を保つのが大事なのです。
恐らく筆者からのポジティブメッセージはこれくらいのものです。その他は悲惨さに満ちています。
その惨劇については、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。
終わりに
多くの人が幸せになりたいと望みます。
(幸せより真理が知りたいという人もいますが、これは少数派でしょう。)
しかし、それを「望む」ことさえ出来ない人々が過去にはいるのです。
そして間違いなく今も、そういう人たちは世界のどこかにいます。
そこで私は相対的に「幸せ」を感じます。今普通の生活を送れていることが、まずとんでもないことなのだ、と。
そういう、「過去を学ぶ」➡「自分の相対化」、あるいは「過去を学ぶ」➡「現在にあてはめる」➡「自分の相対化」の流れは毎度のように、自分を歴史の中に組み込んでくれます。
何だかそれは楽しいことです。そうして今の自分の悩みがフッと消えてゆくのです。
「彼らに比べたら、なんて自分の悩みは軽いのだろうか」、と。
ただ今回は題材の影響で、あまりいい気分にはなれませんねえ。
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