大ベストセラー『嫌われる勇気』が大好きです。
もうすでに、当ブログでも2回紹介しています。
上の記事は厳選した自己啓発の、3冊のうちの1つ。
下の記事は、「なぜ売れるのか」に焦点を当ててます。
でも、この本の内容をゴッソリ説明してはいません。
なので、この記事で「世界一アツい」書評を書きます。
①この本の形式、コンセプト
形式:「対話」
この本の形式は、ある2人の「対話」です。
1人目は青年。彼は幸せになりたいのに、劣等感にさいなまれて自己嫌悪に陥った人生を送っています。
青年は幼いころから自分に自信が持てず、出自や学歴、さらには容姿についても強い劣等感を持っていた。そのおかげだろう、過剰なほど他者の視線を気にしてしまうところがあった。そして他者の幸福を心から祝福することができず、いつも自己嫌悪に陥っていた。ー本文より。
2人目は哲人。彼は、心理学3大巨頭の1人であるアドラーが提唱する「個人心理学」を完璧に理解している哲学者です。
かつて1000年の都と謳われた古都のはずれに世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる、と説く哲学者が住んでいたー冒頭より
コンセプト:どうすれば自由に、幸せに生きられるか?
コンセプトは上記の通り。「どうすれば自由かつ幸せに生きられるか」を、哲人との対話を通して青年が理解していきます。
自分を青年になぞらえて読み進めていけば、読者自身の悩みが解決できる構成になっています。いやあ秀逸ですねえ。
それではガッツリ見ていきましょう。
①トラウマなんて存在しない。
「トラウマは存在しない」というのが哲人の考えです。
「え?」と思う方がいるかもしれません。
疑問を感じる方と同様、物語の「青年」もその考えに拒否反応を示します。
青年:ちょっと待ってください!つまり先生、あなたはトラウマの存在を否定されるのですか?
哲人:断固として否定します。
青年:なんと!先生は、いやアドラーは、心理学の大家なのでしょう!?
哲人:アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します。ー本文より
ここがまず、画期的なポイントの一つですね。人は何かに行き詰まった時、過去の「トラウマ」を引き合いに出し、今の自分が動けないことを正当化します。
アドラーはそのあたりの自己欺瞞に気づいていたんですねえ。
彼は「トラウマがあるから動けない」という原因論ではなく、「動きたくないから、トラウマを引き合いに出して動かないことを正当化している」という目的論の立場をとります。
例えば引きこもりの人は、「親や社会が悪いからいやなんだ、だから引きこもっているんだ」と主張します。しかしアドラーの考えだと「家から出たくないという目的を叶える為に、親や社会が悪いという理由を引き合いにだしているのだ」ということになります。
原因論から目的論への「考え方そのものの革新」が、この本で説かれているのです。
この考えだと、もう言い訳はできなくなります。今現在のあなたの行動は、あなたがやりたいからしているだけなのです。それの行動を正当化するために、過去を引っ張り出してきてるだけなのです。
哲人:…………しかし、アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショックーいわゆるトラウマーに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。ー本文より。
この考えだと、人は怒りをも捏造する、ということになります。「怒りが湧いたから怒鳴る」のではなく、「怒鳴って相手を従わせるために、怒りを抱いた」という解釈になりますね。
「そんな馬鹿な!!!」
と思う人もいるかもしれませんが、よく考えれば自分が目の前の人にキレているときに電話がかかってくると、そのときの怒りはすっかり忘れて電話できますよね。で、電話が終わるとまたその人に怒る。
これは怒りが出し入れ可能な道具なのだ、ということを意味しています。
全ては目的論で、解釈可能なのです。
これは明るい考えです。人は感情にも過去にも支配されないのです。人は変われる、という前提に物事を捉えられますよね。
逆に「トラウマに原因がある」という原因論こそ、過去によって人を束縛するニヒリズムの考え方なのです。
この考え方の革新は、人をネガティブな諦めの境地から救い出し、明るい未来へ進む契機を与えてくれるのです!
青年:あくまでも「人は変われる」を前提に考えよ、とおっしゃるのですね?
哲人:もちろんです。われわれの自由意志を否定し、人間を機械であるかのように見なしているのは、むしろフロイト的な原因論原因論なのだと理解してください。ー本文より。
ではなぜ幸せになれない人がいるのか?
疑問は残りますよね。
それは、「自分で不幸を選択しているから」にすぎません。
仮に不幸な人生を送っていたとしても、日本にいる限り普通に食べていける生活ができます。で、その境地は言ってしまえば「楽」なわけです。
自分で幸福に生きようと決めたとしたら、不安が頭をよぎります。「失敗するのでは?誰かに何か言われるのでは?」
その「楽だけど、何か微妙」という生活と「不安だけど、楽しそう」な生活を天秤にかけ、あなたは今のライフスタイルを自らの手で選んだのです。
そう、目的論に立脚すれば、「アナタがその生き方を選んだ」のです!!!
でも、それは過去の原因には依りません。あくまでもあなたの選択が全てです。
なので、「いまここ」で、選択を変えた瞬間に人生は変わる、と哲人は説きます。
哲人:…….むしろ、アドラーの目的論は「これまでの人生でなにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」といっているのです。自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのだ、と。ー本文より。
②全ての悩みは対人関係。
これも衝撃的な提言です。本書では、あらゆる全ての悩み事が「対人関係から起こる」と断言しています。
これには当然、青年は反論します。
青年:…….すべてが対人関係の悩みだというのは、いくらなんでも極論です!あなたは対人関係から切り離された切り離された悩み、個人が個人としてもがき苦しむような悩み、自己に向けられた悩みをすべて否定されるのですか!?ー本文より
しかし、哲人はそれでも「人間関係の悩みがすべて」と説きます。
哲人:個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなどというものは存在しません。どんな種類の悩み悩みであれ、そこにはかならず他者の影が介在しています。ー本文より。
仮に「幸せな人生を送りたい」と望みつつも一歩が踏み出せない人がいるとします。
その人は「楽だけどなんか微妙」なライフスタイルから「不安だけど刺激的」な人生へと移動したい。でも、できない。
で、その「不安」の部分はなんなのか、ということですが、これは「人間関係の悩み」がすべてなのです。
「違う生き方を選択したら、恋人や友人、家族がなんていうだろうか。自分の親しい人に嫌われるくらいだったら、いまの生き方の方がいいな。」
こんな感じです。そうして、「他者に嫌われたくない」という「目的」に沿って、あなたは自らの行動を選択したのです。
ここで一つ、すごい事実が浮かび上がってきます。
そう、
不安や悩みの根っこにある強烈な欲求、それは「他人に嫌われたくない!」という本能なのです。
③自由とは、他者から嫌われることである。
哲人は、先に述べた「他人から嫌われたくない!」という欲望を、自然な欲望であると説きます。
他者から嫌われたくないと思うこと。これは人間にとって、きわめて自然な欲望であり、衝動です。近代哲学近代哲学の巨人、カントはそうした欲望のことを「傾向性」と呼びました。ー本文より。
この自然な欲求に身を任せてしまうと、人は「自由なライフスタイル」から遠ざかってしまいます。
この欲求の赴くままに生きれば、目的が「他人に好かれること」になってしまうからです。
この本能的欲求を、我々はぶったぎる必要がある。そうして、自分の本当に望む生へと、自ら導く必要があるのです!
そう、自由に生きるためには、「他者から嫌われる」ことが必要不可欠なのです!
哲人:何度も繰り返してきたように、アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。つまりわれわれは、対人関係から解放されることを求め、対人関係からの自由を求めている。しかし、宇宙にただひとりで生きることなど、絶対にできない。ここまで考えれば、「自由とはなにか?」の結論は見えたも同然でしょう。
青年:なんですか?
哲人:すなわち、「自由とは、他者から嫌われる嫌われることである」と。ー本文より。
自由な生に必要なもの。それが、タイトルの「嫌われる勇気」なのです。
④幸せとは、他者貢献による自己満足である。
自由な生は、「嫌われる勇気」があれば実現できる、と哲人は説きました。
では、幸せな生はどうすれば実現できるのでしょうか?
哲人は、それを「他者貢献による自己満足である」と定義しています。
哲人:あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。ほんとうに貢献できたかどうかなど、原理的にわかりえない。つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。
青年:ちょっと待ってください!だとすれば、先生の考える幸福とは……。
哲人:もうあなたもお気づきですよね?すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。ー本文より。
幸せに生きるには、独りよがりではいけないのです。やはり人間関係が一番大事なのです。で、その関わり方は「尽くす」ことなのです。それによって「あの人の役にたったぞ」という自己満足が得られれば、それが自分にとっての幸せなのです。
ここで注意しなきゃいけないのは、他人からの「ありがとう」を求めてはいけないところです。
これを求めた瞬間、先に紹介した「他者から好かれたい」という傾向性が噴出していることになりますよね。
なので、あくまで「役にたったという自己満」こそが大事なのです。
⑤この本のまとめーアドラーのいう善い生き方とは?
この本のまとめをします。
まず1つ目に、人は原因によってではなく、目的によって生を決定しているということ。いつでも「変われる」という事実を、まずは認識すること。
2つ目に、自由な生を自ら掴み取るには、「他者から好かれたい」という本能的欲求を、みずからぶったぎる勇気が必要であること。
3つ目に、幸せな生をみずから掴み取るためには、「他者に貢献した」という自己満足を得なければいけない、ということ。
つまり、人は「変われるという前提」に立ち、「他者からの承認」を求めず、「他人への貢献感」を目的に生きろ、というのがこの本の趣旨なのです。
ですが、理想的な人生を送ることはそんなに容易ではありません。過去を振り返ってしまう人がほとんどでしょうし、そこに固執してモヤモヤしちゃう人もいるでしょう。
そんな人に向けて、哲人は「いま、ここに強烈なスポットライトを当てる」意識を推奨しています。
哲人:….われわれはもっと「いま、ここ」だけを真剣に生きるべきなのです。過去が見えるような気がしていたり、未来が予測できるような気がしてしまうのは、あなたが「いま、ここ」を真剣に生きておらず、うすぼんやりとした光の中に生きている証です。
人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。ー本文より。
上記のまとめに加え、「いまを全力で生きる」ことができれば、人生は「豊かなもの」となるのです。
⑥なんでこの本が売れたのか??
内容についての概説は終わりました。ここからは完全にぼくの意見になります。
テーマは「なぜ売れたのか?」というところ。
ぼくは、その要因は3つあると思っています。
①徹底した読者目線
1つめは、「対話形式」という徹底した読者目線が貫かれている、という点。悩める「青年」と、すべてを把握した「哲人」が対話を重ねていくスタイルなのですが、この本に出てくる青年は、「現代社会の、悩みを抱える人」と重ね合わせられています。
これだけで、読者は青年に自分をなぞらえ、物語に没頭していくことができます。
「あ、この青年はわたしと一緒だ・・・。」と。
これが魅力の一つです。
②誰もが興味を持てる、洗練されたテーマ
この本は、「仕事ができるようになるには」というhow to本ではありません。そういった本は、例えば学生や退職された方には必要ありませんよね。こういった場合、ニーズは限定されてしまいます。
しかし、この本の話題はすべて「普遍的」といっても過言ではない。
この本で取り扱われている「どう生きるか?」というテーマこそ、あらゆる人が興味を持つ代表格なのではないでしょうか?
すべての人が興味を持てる、非常に高い普遍性。これも多くの人に受け入れられる要素の一つですね。
③平易に理解できる、わかりやすさ。
この本は、「どう生きるか」という哲学的な難しそうなテーマを、超わかりやすく解説してくれています。
難しい専門用語もちらほら出てきますが、その周りには十分な説明がふんだんに盛り込まれています。
誰もが知りたい「善い生き方」をこれでもかというくらい「わかりやすく」説いている点も、この本が受け入れられている理由の一つですね。
「伝えたい」思いを、ちゃんと「伝わる」言葉に変換して発信してくれている、著者の膨大な準備と深い配慮を感じます。
⑦おわりに
いかがでしたか?
この本は、思考そのものを変革してしまう力を持っています。
この本通りに生きれば、本当に悩みが消失してしまうのではないか、と思ってしまうほど。
言葉では語り尽くせない、『嫌われる勇気』の魅力。
もっとお伝えしたい気分です。ですがもう、やめます。
なぜならその魅力は、「2013年に発売されて以来2年もの間、書店のトップに立ち続けている」ことが証明してくれているんですから。