成人式は超ミラクルスーパー無駄だと思う。

今日1/11は成人式。

20歳に到達した若者が主人公。

ぼくは2年前にこれを体験した。そして、想像通り「無駄だった」と思っている。

ぼくは成人式に参加する前から、成人式への「違和感」をFBで示していたw

若干毒を吐く笑

成人式の案内が来た。私の精神年齢は最近小学生を卒業したくらいである。そしてこれからも子供のまま生涯を終えると心に決めている。

だから成人式なんて出たくもないし、出るべきでもない。精神の成熟度なんて個人によるでしょ。

大体、毎年何人か成人式後の飲み会で、アルコール中毒で死ぬわけでしょう?「20歳」というさして意味のない肩書きを振りかざして飲んで。母とも話していたが、成人式におけるこの行為は明らかに「子供」の行為。成熟した人間は死ぬまで飲むはずがない。

こんなことを20歳の時に言っていた。町内会の会長と仲が良かったこともあり、結局交通安全宣言を「声のトーンを上げて」行った。ちょっとしたイタズラ程度でしか反抗できなかった自分が、今でも恥ずかしい。

やはり、精神の成熟度は全然違う。ぼくみたいに小中時代にゲームにのめり込み、集団を嫌い一人でこもりがちな人間と、様々なリーダーを経験して周りを巻き込んだり、ある分野で全国制覇したりしてる同期と比べれば、後者の方が精神レベルが高いのは言うまでもないだろう。

20年という時は、平等に流れる。けれどもそれをどのように過ごしたかで、精神の成熟度は決まる。そしてそれには個人差がある。

ぼくの幼い頃の友人も、今では皆就職を決め、おとなしくなった人が多い。中学時代に酒を飲み、女と遊びつくしていた彼らが、一体どうしたことか。

きっと人生の岐路に立ち、自分なりに人生を真剣に考えたのだろう。

一方のぼくは、大學2年生。

昔からイタズラやちょっかいが大好きで、その精神は全く変化していない。

堂々たるアダルトチルドレンっぷりである。そして、そういうレアな自分が、その希少性ゆえに周りより「エラい」と信じてやまない。心理学ではこういう「努力なしに、自分を差別化して承認欲求を満たす行為」を安易な優越性の追求と呼ぶが、まさにその体現者がぼくなのである。

ぼくの周りにもそういう人がいるが、彼らはぼくと同様精神年齢が低いと感じる。それもかなり。

何がいいたいかというと、成人式で大人と子供を区切るのはお門違いだ、ということだ。なんて無駄なんだろう。

ゲームキャラの攻撃モーションを再現したり、一人でディズニーに行ったりするぼくもが、どうして大人といえよう?

18歳でプロ野球に飛び込み修練に励む青年を、どうして子供といえよう?

人生のステージの進行具合は、人によって違う。先にあげた同級生だって、昔は精神レベルがかなり低かったが、今では大人な考えを持っている。それがすごいとは露ほども思わないが。

ある人は緩やかに変化し、ある人は急激に大人になるのかもしれない。またある人は退化し、子供のように駄々を捏ね始めるかもしれない。

成人式や結婚式を経て「もう大人なんだから」とか「もう親なんだから」とか、そういう外的要因に縛られあたかも自分の精神性が上がったかのように錯覚するほど愚かなことはない。

そういう人は、果たすべき役割と素の自分があまりにかけ離れているから苦しむことになる。

大事なことは、常に自分を理解するよう努めることだ。

自分は結婚したけれど、まだまだ幼い。

自分は高校生だけど、明らかに他の人より将来ビジョンが明確だ。

こんな感じで自分そのものを見つめることこそ大事だ。人生は自分だけのもの。手綱を人に明け渡すことは、自分自身に失礼だ。

ぼくはまだまだ、幼い。小学生レベルだと本気で思っている。だから、ブログを通じて成長を人に見せていく。