情報化し、多様化した現代社会では、道徳を感情的に押しつけることは不可能だ。バラバラに生きる個人を支えるために必要な「理性的な道徳観」を大胆に提案する。「BOOK」データベースより
藤原さんの本は面白い。
今回は現代社会に求められる「新しい道徳」に焦点を当てた『新しい道徳』。
さっそくみていこう。
「正解」ではなく「納得解」を求めよう。
藤原さんはこの本の中で、「正解」でなく「納得解」を求めることを推奨されている。その考え方こそが「新しい道徳」なのだ。
成長社会において、日本人はほぼ全員が共有出来る「目標イメージ」がはっきりしていた。
しかも、ほとんどの人々が共有できる個人目標のイメージがあった。「学校でいい成績を取って会社や団体に入ると必ず成功する」という「成長社会」独特の神話だ。ーおわりにより。
この目標イメージという「正解」に従って日本人はバクシンしてきた。
この間の学校教育は、ことさら「情報処理力」の養成に終始していた。正解を求める力を、日本は強化してきたわけだ。
しかし、すでに時代は変わり、一つの共有イメージがなくなってしまった。
その結果、生きる軸自体が多様化し始めている。それが現代社会だ。
そんな社会において、正解を求める力の重要性は低くなってきた。そして新たに必要とされる力こそ、「納得解」を導く力なのだ。
結婚するか?家は買うか?就職するか?という人生の諸問題に関して、自分が納得出来る答えを自分の頭で決定し、実行する力こそが大事なのである。
このことを藤原さんは「理性の運用技術」という言葉を用いて次のように述べている。
小学校の低学年なら、お話を聴かせる従来型の「道徳」の授業でもよいとして、高学年や中学校からは、むしろ「理性の運用技術(リテラシー)」を教える必要がある。「正解」のない成熟社会を生き抜くための「納得解」の導き方を教えなければならない。ー本文より
そしてこれこそが「新しい道徳」なのである。
この本ではこのことを「ウサギとカメ」を例に明快に説明してある。
昔は「カメが偉い!」という正解があった。コツコツやるのがいいんだ!ということだけわかってりゃよかった。
しかし今は、複眼的に考察し、どれが自分にとって納得できるのかを真剣に考える必要がある。
ウサギはカメがかわいそうだから、わざと負けたのかもしれない。
ウサギは勝負に負けたけど、それ以上に昼寝が気持ちよかったかもしれない。
カメは勝負に勝ったけど、全力を出しすぎて死んじゃったかもしれない。
いろんな解釈があるだろう。そういう解釈の仕方こそ、現代社会で必要なスキルなのだ。
おわりに
自分の価値をどこにおくか?
生きるための物差しがなくなった今、人はゴールが見えずにグラグラしている。
著名人の信者が増えるのも致し方ない。
しかし、物差しの外注は常に不安と隣り合わせ。なぜならその物差しすらなくなってしまうほど、時代の変化はすさまじいからだ。
だから、自分の経験に立脚し、確固たるものを築く必要がある。楽しく生きる。他人のために生きる。ジコチューに生きる。なんでもいい。
けれどもそれらは手探りの果てに見つける必要がある。苦労して勝ち取る必要がある。
なぜなら、そうして手に入れた価値観こそ、人を「大人」たらしめ、我々の背筋をシャンと伸ばしてくれるからだ。
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