毎日プロプロガー・イケダハヤトさんのブログ記事を読んでいるんだけど、今朝こんな記事をみた。
ぼくは今慶応商学部にいるので、れっきとした「慶応生」という肩書きを手に入れている。卒業もおそらく余裕だ。
しかし、ぼくは一年浪人しているし、偏差値もイケハヤさんの早稲田政経よりちょっぴり低い。
ぼくは商学部に入って、初めて「慶応では相対的に偏差値が低い」という驚愕の事実に気づいた。
入学当時、文転して3ヶ月強の勉強の果て、京都大学に0.6点差で落ちての慶応入学だったので、正直こんなことを考えていた。
「仮面浪人しようかな・・・・。」
しかしそんなことをする勇気はぼくにはなく、大学に入って始めた読書が想像以上に面白かったから、結局仮面はしなかった。
鬱屈した毎日だった。しかし、よく考えてみると、京大に0.6点差で落ちた、ということは、入っても底辺クラスだった、ということだ。
しかも林先生も言っていたけど、「東大に受かるヤツは京大なんて余裕で受かる」のだそうだ。
ということは、ぼくは学問の世界ではテッペンに上り詰めることは到底無理・・・・。
こう考えると、勉強というステージで競争するのは如何に自分にとって非効率かがわかった。
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そんな合理的な判断とは裏腹に。
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学歴コンプってのはあった。挫折知らずのぼくには、とても苦しいものだった。
1年生の時、アメリカ留学に行ったり、スペイン旅行に行ったりした。そこで、100万円ものお金を使い果たした。大学に入ったら使おう!と決めていた50万と、両親に借りた50万を、1ヶ月で使い果たしたのだ。
しかし、心は晴れなかった!
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そんなことはどうでもいいや。
でも、最近はちょっと考える内容が違うんだ。
ぼくが悩んでいるのは、「学歴が京大だったら」解決するなんて、そんなヤワなもんじゃない。
多分、「あるがままの自分を認められていない」から悩むのであって、その部分が解決できれば、悩みは消えていくはずだ。
最近ご縁あってそういうあるがままの自分を認められない自分がいることを認め、「belief解放」というものを行った。
なので、学歴の悩みによる感情の起伏が、小さくなっている。
そう、どうでもいいのだ、学歴なんて。
大事なのは「今、なにを頑張っているか」であって、過去はどうでもいい。
今をちゃんと生きれば生きるほど、学歴の悩みは時間の無駄だとわかる。
だから、俺。もう悩まなくたっていいんだよ。代わりに、今を生きようか。