「俺はこう生きたいんだ!」
という姿を目指して生きないと、永遠に楽しくない。
そう思った。
だから、今までのぼくの人生は微妙だったのだ。
もちろん、単発的に楽しいことはある。
美味しいもの食べたり、寝たり、バンドや就活でうまくいったり。
もちろん嬉しい。
けども、その嬉しさも家に帰ったらなくなる。
ちょっとだけテンションが下がる。
もちろんそういう生き方も否定はしないけど、ぼくはイヤだ、と感じる。
実はぼくは、自分の人生を自分で意思決定したことがほとんどない笑
テストがあるから、勉強する。
受験があるから、塾に行く。
就活があるから、自己分析を始める。
「社会での出来事」を起点に、自分の行動を決めてきた。
おかげで、微妙に楽しくない人生をすごしてきた笑
これは、学校教育のせいだと思う。
ぼくらは、多くの暗記を強いられた。
国語も算数も理科社会も、とにかく無機質な暗記を求められた。
そして不幸にも、ぼくはその暗記がとにかく得意だった。
しかしそれは、洗脳にすぎなかったのだ。
普通に考えれば、日本の教育システムはアメリカから従順を強いられてできたものだ。
だから、思考能力を奪って暗記をさせる教育をするのだ。
普通に考えればおかしい。
「考える」が本質のはずの数学が、暗記になっているのだから。
解の公式とか、呪文のように求めたよね、、、、、
導き方の方がよっぽど大切なのに。
暗記型ロボットとして大きくなったぼくたちは、自然と「正解を求める脳」に育ってしまった。
だから、何かを考えるとき、まずは正解を求める。
仕事もプライベ-トも、社会が用意されたモノサシに従おうとする。
本当は、生き方に正解はないはず。
なので、各々が楽しい人生を思い描き、それに向かって努力するのが当たり前だ。
でも、それができない。
今、日本の学生の97%が就活をして就職をしようとしている。
これは明らかに、社会が設定したゴ-ルにのっかろうとしているにすぎない。
もちろん、サラリ-マンを否定するつもりはサラサラない。
だけど、リ-マンになる、その選択肢の前に、まず「自分はこれを手に入れたい!」という目標が先にくるはずだ。
でも、ぼくらにはそれがない。
教育が、「自分で考える」ことの重要性を教えていない。
本当に楽しいのは、わからない問題について、自分なりの回答を出すこと。
・・・・なんか、何が言いたいのかわからなくなった笑
とにかく、「自分は将来こうなりたい!」という像をさしあたり作って、そこに向かうのが一番自分本位で気持ちいい生き方だとおもう。
それが一番楽しい。